去勢学
当内容は私的な去勢不安や問題を整理するための論稿・試作であり、
性犯罪や性的自由の軽視、貞操感の低下、化学的・物理的去勢、疫学的な事件などを助長する意図ではない。
・非自然的な去勢という、最悪の状況の仮想による個人的な内容
(婚姻相手の条件に「風俗・エステ・洗体に理解のある人」という項目を追記したので、参考資料でもある)
執筆者は、2022年5月現在迄に完全な生殖行動としての性行為については、一度も行ったことがない。
また一般女性との交際経験もない。風俗エステでのオーラル行為と文献やアダルトコンテンツの知識や経験のみである。
無知であることは、必ずしも正しいとは限らない。年齢的に経験が少ないということも、あまり有利にならない。
また認識は自己と他者では、異なることは普通であるが、合意性は、一方的な状況では必ずしも成立しない。
日本人は阿吽の呼吸云々を都合良く利用しようとするが、西洋型の教育の影響も多い自分にとっては、適当でないことも多い。
高校段階までの少年期に、既に体調を崩しており、その後に浪人時の精神科での処方による社会復帰で大学の法学部へ通学した。
そのため高校入学後は、食欲低下もあったが、身長は全く伸びなかった。
大学では、性犯罪のや生殖に関係する法についても議論する機会があった。
女性法学者とジェンダーと法について議論を行い、元裁判官から刑事政策上の視点について学んだ。
精神科通院とともにジム通い及び風俗店の利用を始めたのは、経験値だけでなく、弱体化に対する観察も含めてのことであった。
風俗店の利用と女性との接触行為が5回以下の段階で、オーラル行為のみで淋病・クラミジア系の感染症となった。
それ以降はコンドームを付けていない状況の方に、恐怖を感じるようになった。大学3年の春休みのことであったが、
意図的なタイミングであった可能性が無いわけではない。
性犯罪者への対応や全国民への感染症に対する検査について、議論した後であったからである。
元裁判官の意見では、人権擁護もあり、それは無理だろうということであった。
また求職活動中で病院勤務となる数週間前に、久しぶりにヘルスサービスの比重の多い性風俗を利用していた。
コンドームは当然に使うのだが、後日に確認して分かったのは、鼠径部に虫刺されのような痒みと通常とやや異なる変異を観た。
診療と検査結果は病院勤務となった後だが、初めに予備的に抗生物質を服用し、後日にカンジタであることが分かった。
カンジタが性感染症として生じたかは定かではないが、どちらもヘルス中心の店であった。
以前より簡易検査で判定される方向ようになると良いと思っていたが、
アップルウォッチなどの健康管理機器、コロナ対応でのPCR検査などが注目され、
糖尿病などの非侵襲型の機器を開発する知人も現れた。
健康診断が気軽に安価に受けられるようになるかが、予防医学上でも重要である。
普通の按摩、アーユルヴェーダやタイ古式マッサージ、中国や台湾式のマッサージ、アカスリ洗体など、
エステ店を利用してみると、上手な人の時には身体の状態は確かに変わった。
アロマだけであると匂い残りがひどい場合もあるが、
洗体は、何となく汗のような匂いがなかなか取れない時に使うと効果的であるという合理性もあった。
自分でのメンテナンスが完全でないので、
肉体労働が多くなるとエステ店や洗体のサービスの利用が多くなった。
短期間にお店をはしごすると保健所なのか分からないが、怪しげな緊張関係が生じるようであり、
エステ嬢などとの交流にも、情報化社会により周囲はやや介入的な監視を行うことを、
普通であるかのように主張している。
自分などより性的な遊興を行う経験者が、一般人が相手でも、多数に存在することは言うまでもないことである。
なぜか一般の人間をナンパして遊ぶ気にならない。一般女性との性的関係の場合は婚姻や広報を意識せざるを得ない。
しかし、相手がどのような人間かは、博打のようでよく分からない。体調も万全ではない。
また経済力も低く、ハラスメントの理論についも、それなりに勉強したことから、もとから心理的に萎縮関係である。
慰謝料請求権や人間関係上の無駄な紛争を避けるためには、風俗エステ等の営業上の関係が、
選択肢となることに問題はないように思う。
アダルトコンテンツや人間関係に、ミラー脳などから教育心理学的な影響が全くないとは思わないが、
社会心理学的な考察や解剖生理学的な問題として取り扱ったとしても、異常な対応を示す人々がいる。
独身であったカントなどの考察であれば、相互の使用貸借関係などと、あれこれと論じて人権云々だが、
動物的な常態を重視し、調教云々などという人には、煩わしいことでしかないかもしれない。
結果的に金銭を介在させることで妥協していることが、多いのだが。
合法的な範囲での客観的な考察や資料収集と実際的な活動、フィクションとノンフィクションは異なる物であるが、
そのことの区別がなく、決めつけと政治的な実効行為が重なるように感じる。
その人々にとっては性犯罪を前提とした対応として、超法規的な行動を実施して良いのだという推定的判断をする。
これだけが理由ではないが、ストーカーのような異常な監視や盗難も発生しているように思われる。
特に狙われているのが情報分野である。
かつての近しい親族には日本舞踊界の権威もおり、
遠戚であっても、経営者や学者、軍人などで、それなりの人々が系図上で確認できている。
警備行為などを装い、知的財産分野などの経済対価性の分野も手中に収めようとしているように思う。
根源的な部分で出自階層性や経済的問題などを理由とした特定標的化があるとしたら、
正当化を巡る問題の解決も、より深刻になる。
これらは分裂病気質を生じさせ、様々な活動の方向性に影響を引き起こし、ストレス度から脳に負担が生じる。
このことは自然な現象であることや認知の歪みを、普通の生活で通説的な認識とするのだが、
段階的な政治的な化学的・物理的な去勢が行われる可能性も示唆する。
そしてプライバシーの侵害と社会保障論、保健衛生の効率を以て、過剰な対応を行う人々が存在するならば、
その人々の犯罪性の方が比較衡量で高くなるのではないかと思われる。
なぜなら実態的な悪質性が、その政治的な重大性の比較において乖離しているからである。
そのため違法性阻却事由の成立は難しく、物理的な傷害行為に近い状態や環境になりえる。
これは公正な手続き保障が軽視されている、現在の日本の司法制度が反映されたものでもある。
意図的に感染を拡大させたという場合も、傷害行為になり得るのが、
感染症予防を理由とした場合に、どこまで制限行為は許されるのであろうか。
効率が悪いとして、グレーゾーン的な手段を行使することは考えられる。
その場合には副次的な抗争や意図が加わる可能性が多くなる。
正義論と悪意が一体的であった場合に、
彼らの支配的な行動は、正当な権力行為と見做されるべきなのだろうか。
近年の問題として観測されるのは、
理由の構築→過剰監視→交際や風俗等の利用を制限→
周囲の人間との援助交際の管理→貞操権を曖昧化し、低くさせる→
隠し撮りと情報共有→性の商品化で中間利益取得者が現れ、支配的になる→
政治的に脅迫的な態度を示し、主張を抑え込もうとする→ネガティブキャンペーンへの利用
結果的な問題としては、社会的な制限を強化しようとすることにより、
歪んだ政治的、社会的な状況をもたらしている。
明らかに風俗やエステ、アダルトコンテンツの利用よりも悪質である。
普通の援助交際は知られているが、その他の状況からは加害意思と営業利益、権力欲を含むことが分かる。
異なるのは周りの人間に金銭的利益を与えていることである。
そして口実としては公衆衛生と活動性の影響、性的関係の曖昧化、コミュニケーションを取りやすくするなどとする。
この状況は複数箇所で確認されており、もはや常態化した手段として、利用されているものと思われる。
法学者などは表向きの綺麗事で、風営法等の罰則強化云々としているが、
婦人補導院などで議論になっているように、
自由や自然主義的な考え方についても、もう少し見直すほうが良いように思う。
仮に身体的、性的な健康問題に関する治安上において、必要以上の支配的な介入者が存在した場合に
彼らは公衆衛生と秩序ある異性関係を主張するが、逆説では援助交際と乱交性(貞操要件)の商品化を助長しており、
かつ人事評価上も調整行為等が、評価する内容と見る風潮が一部にもあるように思われるため、
風俗等を利用することの過度の制限については、その正当性の拮抗から必ずしも良いとは判断されない。
このことは不倫関係の抑止についても、同様のことが言える。男性と女性では生理的な現象が異なっており、
家庭生活が性的関係のみで成立するものでないことから、仮に夫婦関係において困難がある場合に、
性的関係について事業利用か不倫、あるいは自慰、セックスレスなどのいずれかの方法になる。
特に高齢期などで不倫を抑え込むのならば、多少の風俗エステなどでの遊びの利用は認める方が良いと思う。
教会の神父での性的虐待が問題となっているように、過度の抑圧関係は通常の人間の状況を認めないことによるので、
超越的自我などとしても、その存在的な合理性について、限界状況もあり矛盾した帰結点になってしまう。
化学的去勢等については、本人意思を無視した形で利用された場合は、傷害行為であると同時に、
重大な人権侵害の事案として扱う必要がある。これは医事法分野などでも濫用されてはならない。
人事的な評価上の齟齬や政治的な利用が生じるため、
強制性交の常習者などの重大事件でない限りにおいては、
私刑的な実効行為として実施してはならないと、当然に思う。
貞操帯を鍵を付けて無理やり装着させるなどの行為は、現実に例示されている。
地縁や文化的背景のレベルで、周囲の政治行動に影響している可能性についても検討した。
多少の許容性は、皇室などの国家元首クラスの安全保障などだが、
それにも政治的限界が立憲君主制のもとで必要である。
「VIP対応である」からと、あらゆることが許されるという解釈は、
ご都合主義で運用される場合も考慮しなければならない。
ナチスのユダヤ人の虐殺やフランス革命での恐怖政治などの、人間のおぞましい側面が強調された、歴史的事実が存在する。
日本でも治安維持法のもとでの獄死や拷問は知られていることである。旧優生保護法などでの中絶も訴訟となっている。
現代も情報技術などの発達もあり秘密警察のように演じる人々が増え、
自然で普通な生活や安全、交流ということが困難な環境があり、
自由で寛容な社会、公正で信義や信頼に基づく関係から、
圧迫と隷従や優越心、優生主義的な主張を巡る社会的な統制主義が強まる恐れが観られる。
日本国憲法や歴史に照らせば、問題点はいくつも考えられる。
アダルトコンテンツの視聴等と現実の世界観を同一視する勢力が、
仮に薬物を用いて化学的去勢などを容易に行える状態である場合、
彼らが、自分たちの主観的な倫理を根拠として薬物混入等を実施したとする。
本来、薬物の混入等は傷害罪等にあたる刑事罰の対象であるが、
それが緊急避難や医療行為などとして正当化が主張された時、
純粋にその目的として行われていると考えるべきであろうか。
社会保障制度と雇用などの問題からも、
自分たちが勝ち組であれば良いという考え方が横行している。
正当化の裏に攻撃意思を持った競争性が働いている場合があり、
むしろ去勢に対する人権意識の考え方が軽薄化し、
政治的闘争を目的とした私掠的状況をもたらす可能性がある。
また支配欲の強い人間による飲食物への薬物混入事件は、
現実に事例として確認されており、
軽率に濫用される恐れがあることを警戒しなければならない。
例えば職場や学校などで、その使用権限で私的濫用された場合、
健康や経済的損失が与えられ、結果的暗殺となることが推定される。
そこに適当なプロセスの保障がない時、
存在するのは言葉の秩序ではなく、権力行為(暴力性)の均衡である。
政治的な実効行為を仮定した記述だが、
実際問題としては疾病療養や生活習慣、心理状態や運動能力、栄養、年齢などの、
普通の問題としての退行を理由としているため、
上記の記述が証拠に基づいた事実であるという確信には至っておらず、妄想としている。
以上